BABYBOOTHー赤ちゃんのいる暮らしー

仕事、子育て、家事、雑事。

時間にルーズな人が嫌いだったあのころ

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時間を守れない人が嫌いだった。
嫌いというよりも、約束しているのになんで時間通りにできないのかが分からなかった。が、それも今は昔。

子供ができて、たとえばコンサートだとかイベントだとかに出かけようとする。時間通りに出れたためしがない。そして、時間を守れない自分にイライライライラ・・・
行こうと思ってたのにもう開演時間だし!待ち合わせの約束してるのにまだつけない!もう!なんで!!私は時間通りにいかないことが嫌いなの!

というのを何度か繰り返して、そしてある時気が付いた。
「もう時間の約束やめればいいんじゃん」と。

そう思ってから、かなりストレスが減った。行きたいイベントがあっても、まあ、行けたらいいか、ぐらいに思うようにしたし、友達と約束することも減らした。子供がいる友人同士だと、みんなが揃うのは約束時間の1時間後ぐらい、というのも慣れてきた。そもそも子供たちを遊ばせるのが目的だからそんなに時間にきーきー言う必要もない。まだお昼寝してるから―とか、そういう理由で約束の時間なんてあってないようなもの。お互いそうだからとっても楽。


以前の私は『世の中は自分の思い通りに行かない事の方が多い』ことを知らなかっただけで、経験値が低くて無知すぎたのだなあと。
逆にいえば思い通りに行かない事があるというめちゃくちゃ当たり前のことに気づけないぐらいい、了見が狭かったんだなあと。時間を守れない側の人になってみて、頑張ってるけど色んな要因で思うように時間通りにいかないのだ、ということを知った。

子供ってほんとに大変。でも経験値という意味でいえば、かなり数値が上がるんじゃなかろうか。家を出るよって言った瞬間おもらしをしたりする我が子に色んなことを教えてもらっている気がする。

 

 

外食恐怖症だったあのころ

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家族そろっての外食って楽しいですよね。
でも、子供が生まれてからというもの外食ができない期間が結構長くあった。

まず、赤ちゃん期。
お店に入ろうとすると「すいません、うち子供お断りです」と言われることがあった。これにまず衝撃を受けた。まさかの入店拒否!子連れ不可!そんなバカな・・・
それからは、お店に入る前に「赤ちゃんいいですか?」と聞くか、事前に子供OKかどうか調べるように。当たり前のことだけどこのひと手間、結構大変。

次にイヤイヤ期。
もう、じっとしてない。外食で食べれるものが少ない。すぐに飽きる。手づかみ食べをする。こぼす。テーブルの上には惨劇の跡が。。。周りの視線が気になる。散らばった食べ物を拾い集めるのに店の床に這いつくばる私。ゆっくりしたくて外食しにきているのに、何とも言えない疲労感。

長男がうまれてから、私はご飯をゆっくりと食べた記憶がない。外食はなおさら。とにかく自分のご飯はがーっとかっこんで食べる。立って食べる。子供の残したものを食べる。味なんてまったくわからない。

そしてある時気が付いた。
『あ、外食しなきゃいいんじゃん』

それからは、お弁当を持って外出。公園でたべたり、車で食べたりするようにした。
ベランダレストランもよく開催した。
今となっては、いい思い出。お弁当とシェードをもって近所の公園で食べるのもいいし、車なら雨が降ってても外出もできて車中ランチはキャンプ気分だし。

子供がいてもそれまでと同じような行動をしようと思っていたのがいけなかったわけで、自分のライフステージに行動を合わせたら済む話だったのだなと思う。
しかもその期間も短い。今は普通に一緒に外食も楽しめる。子供向きのお店ではあるけれど。

 

全くの余談だけど、去年の夏に母に子供たちを見てもらって久しぶりに夫婦二人で晩御飯を食べに行った。もちろん、大人向けのお店に。
美味しすぎて楽しすぎて幸せ過ぎた。おかげで二人でワイン2本空けて上機嫌で帰ってきた。こんなに幸せと感じるのも、あの外食断食期間があったおかげだろう。

ありがとう、子供たち。

 

 



 

 

年のはじめに考えてみたこと。

あけましておめでとうございます。と、松の内の間に。あれ、松の内って関東では7日のことなのかな?
今日から小学校が始まり、ようやく日常が戻ってきた。長かった。本当に冬休み長い。
周りのママたちも軒並み体調を崩しましたと、挨拶代わりに言ってます。ともかくも、今日からようやく仕事も本格的にスタート。
冬休みのあいだ、関西のスタッフとMTGしたり、一人で色々と脳内会議をしたりして今年はあれやろう、これやろうと、色んなアイディアが出てきた。
そして、今日はちょっと俯瞰してなんで仕事やってるのかという根本的な部分の話をした。それら(出てきた仕事のアイディアとか)をそもそもなんでやるのか、何のためにやるのか、みたいな話を。そういうのって日々の雑事に追われてるとすっぽりと抜けてしまいがちな部分だったりする。

私は、大学生の頃にすでに社会人になってる先輩から「自分がここまで大きくなって来たのは、色んな人の支えあってこそやろ?だから大人になったらそれを返していかなあかん。学生の間はいいけど、卒業したらちょっとずつ社会に返していけるようにならんとあかん」ということを言われた。
働く意味を学生のときにこんな風に教えてもらえてほんとに良かった。確かに、直接関わってなくても色んな人に支えられて大きくなってきたんだなと。CMのコピーじゃないけど、世の中は誰かの仕事でできているのだから、自分もそうならなくちゃいけないんだなと。

だから、私の働く意味は社会への恩返し、ということになるんだなって思う。
自分の好きな事と、社会へ貢献できる事の交わるところで、何か生み出せたらなと思っていた。
今、それができているのかな、って思うのだけれど、少なくともちょっとは誰かのためになっているんじゃないかなって思う。そしてそう思えることは、本当に幸せなことなんじゃないかなって、思うのです。

過ぎ去った時間は愛おしく。

私の家のお隣には6カ月の赤ちゃんがいる。もう、赤ちゃんってかわいくってかわいくって、みんなで奪い合うように抱っこする。ママは「離乳食がなかなか進まない」とか「ここらの保育園事情がわからない」とか、先輩ママが通り過ぎてきた悩みの数々を質問してくる。
そんな時、みんな口をそろえて言うことは「大丈夫よ」だ。

BABYBOOTHで訪問するときにスタッフみんなに「ネガティブワードを言わないように」ということを徹底している。
何の気なく発した一言でも深く考えてしまう。悩んでしまう。出産直後はなおさら不安定になっている時期だし、1歳になる頃までは色んなことが気になる。

一人育てるとそれなりに肝も据わってくるし、一度通ってきた道なので余裕も出てくる。ああ、この時期はそろそろ寝がえりするな、つかまり立ちの時期にきたね、離乳食食べなくても元気だから大丈夫、とか。
2歳のイヤイヤ期も大変なことには変わりないけど、終わるということもわかっているから、あと半年の我慢ね、とかがわかる。これが全部初めての時は、本当にトンネルの中にいて出口の見えない状態になっている。

大丈夫よ、っていくら言われても不安になる気持ちも良くわかる。
できれば、そんなママ達にそっと寄り添えるようなサービスでありたいなって、ずっと思っている。

子供はみんなで育てよう、という理想論

この間ご近所さんと忘年会をした。6カ月、2歳、4歳、6歳、7歳の子供たちが絶えずワーワーいいながら、大人たちはお酒を飲みつつ掘りごたつにはいりながら鍋をつついた。

そして、「うん、子供はみんなで育てよう」みたいな話になった。

ご近所なので(両隣とお向かいさん)、おむつ忘れたーとかDVDとってくる!とかいいながら夜の11時ぐらいまでしゃべったり飲んだり。

 

朝一緒に学校に行ったり、保育園に行く時間が同じになれば途中まで送ってくれたり、塀を乗り越えて遊びにきたり、うちの子を呼ぶ時はガンガン窓をたたいてそこで会話したり。気づくと庭にいろんな子がいてるのももう慣れた。

なんだか周りに子供がいていいなあと思う。そして、うちの子が家に入り浸ってても、逆の場合も、いい意味でほったらかし。賑やかで大変よろしい。

ご近所付き合い色々あるとおもうけど、こんな感じで仲良くやれたらいいなあーと思う。賃貸の人も多いからそのうちみんな引っ越してバラバラになるんだろうけど、こうやって、子供を育てる間は周りの手助けを得られるのってとってもありがたい。

前に住んでたところは、同じような年の子がいても行き来はなかったけど、まあ色々ですね。

自分の中のこうあるべきみたいな部分を下げていけば、いろんな子育てがあってもいいんじゃないって思えるのかもしれないなあ。

ただ、話を聞いてあげる。それも、全くの他人であることが重要。

BABYBOOTHでは、妊娠中に予約を入れてくれる人と、出産後に連絡をくれる人の割合は、6対4ぐらいで、前者のほうが多い。

生まれてから連絡してくれる人の多くは、前からチェックしてたけどどうしようか迷ってるうちに出産して、もう新生児期すぎちゃうし、やっぱり撮りたい!って連絡をくれる。

中には撮影予約したけど、やっぱりやめます、やっぱり撮りたいです、というのを数回やり取りしたお客さんもいた。

赤ちゃんのお世話もちゃんとできてないのに写真なんかとってる場合じゃない!というのと、でも今しか撮れない!というのとが交互に襲いかかってきて、混乱している感じが、めちゃくちゃ理解できるので、そういう時にはただ話を聞いてあげるようにしている。

また、訪問日を決めるために電話したら、そのまま育児相談になっているというケースもあって、そういう時は話の内容を聞いて、折り返し助産師さんから連絡を入れてもらったりもしている。

 

相談するところが無いのかな?そう思うだろうか。
実際は出産後、まったくの一人で過ごす人と言うのは本当に稀だ。大抵は、家族や産院などのサポートを受けながら産褥期を過ごす。

ただ、気楽に相談というのがなかなか難しいのだ。

家族は、近すぎて意見の衝突が起こることが多い。あるいは、お世話になっているという気持ちから、遠慮も生まれる。そしてジェネレーションギャップも起きやすい。
産院へ連絡するということも、「こんなつまらないこと聞いてもいいのかな」「病院は忙しいからな」と変に気後れしたりしてしまう。
私は電話がとても苦手なので、出産後電話で相談するということ自体、ハードルが高かった。

 その人の生活に全く関係のない、第3者であることが、実は話を聞く上でとても重要なんじゃないかと思う。
何を言っても、大丈夫。そう思ってなんでも言える。なぜならば、その後の関係に配慮する必要もなく、遠慮することもなく、どう思われるだろうと苦慮する必要も無いから。

私にとってBABYBOOTHは産後ケアのサービスという意味合いがとても大きい。産後のママたちの不安を少しでも取り除いてあげたい、一瞬でもいいから力を抜いて安心してほしい、そう思っている。
出産を終えて、慣れない育児に緊張している日々に「今のままで大丈夫だよ」「がんばっていますね」と、味方になって寄り添ってあげたいなと思う。

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「あなたのために」という呪縛をかけてはいけないし、かかってもいけない

ちょっとでも軸足を仕事に向けようとすると、こどもが熱を出す。ワーママあるあるですが、ほんとにブログ一つすんなり書かせてくれない・・・

 

さて、子育てはみんなでしたほうがいい、と言うのは本当にそう思う。だけど、一番大事なのは自分のやり方や考えを尊重してもらえる環境かどうかということだと思う。

BABYBOOTHで訪問に行く際、里帰り中の実家に行くことも多い。産後旦那さんが休みをとって夫婦2人でお世話をするというのも理想的だけれど、やっぱり育児経験のある人に手伝ってもらえるのはありがたい。
ただ、そこで問題が起きることも少なくない気がする。ケア中にこっそりと「母親とうまくいっていない」と話してくれる人もいるし、ママよりもおばあちゃんのほうが熱心に育児相談をしてくる場合なんかもある。

育児から教育をする段階になってまで口をだしてくると、もう本当にトラブルが起きてくる。
親に限らず、当人以外の人の発する「あなたのためにアドバイスしているのよ」「もっとこうすればあなたが楽になるから(手伝ってあげているのよ)」等々の言葉は、相手を縛るだけだと思ったほうがいい。
私自身、子どもたちにそういう言葉を発していないだろうか。色んな場面でほとんど無意識に「あなたのために」は発せられる気がする。

自分の思った通りに行動した結果、失敗したり間違っていたりすることもあるが、自分自身が納得して選んだという前提があるので、責任も自分ですんなりと負うことができる。でも、人の意見に左右されて決めた場合、失敗の原因を外へと求めることになる。あるいは、振り回されて何を信じていいのかわからなくなりクタクタに疲れてしまう。
自分を信じるということは、簡単そうで難しい。不安だからアドバイスを求めてしまうし、それにすがってしまったりもする。でも自立をしていかない限り、問題は解決していかない。

子どもたちには自分で考えて、自分で答えを見つけれるようになってほしいなと思う。そのためにも、「あなたのために」という呪縛をかけないよう、そっと寄り添う姿勢でいれたらいいなと思う。

 

 

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