BABYBOOTHー赤ちゃんのいる暮らしー

仕事、子育て、家事、雑事。

来年の抱負を、今年のうちに。

気が付いたら、前の投稿から1年も経っていた。

この一年、色んなことがあって、毎日毎日色んなことを思うのだけれど、それをそのまま書いていいものかどうなのか、悩んでいるうちに筆がどんどんと重くなり、とうとう書けなくなってしまった。

 

タイトルに「BABYBOOTH」とついている限りは、サービスについてもっともっと書いたり、私がどんな思いで仕事をしているのかということをどんどんと発信していかなきゃいけないのだけれど、そうやって自分の思いのたけを書くことがいい事なのかどうなのかの判断ができないでいた。

 

BABYBOOTHに関わってくれるスタッフも、当初の2名(私とチーフの助産師小山さん)から、増えていって現在10名ほど。育児で休憩中のスタッフもいるけれど、ほんとにたくさんのスタッフに支えられてここまで続いている。

それ以外にも会社のメンバーもいるし、皆で作ってきたサービスであることは間違いない。だから、たとえば私が書いたことが誰かにとって受け入れられないものであったりすると、それはそのまま一緒に働いているメンバーへのバッシングにもなったりするかもしれない。

それはとても怖い事だなあと思う。

 

でも、やっぱり頑張ってる皆のことを伝えたいし、私がちゃんと発信していくべきなんだろうと思う。

私個人の話(サービスに関係ない話)もたくさん登場すると思いますが、来年はちゃんとブログ書いていこうと思います。

 

と、年末のまとめとして、来年の抱負を。。

頑張って続けよう。

 

 

 

 

憧れのオーブン

私の実家には、大きなガスオーブンがある。
多分、今ので3代目ぐらいなのだけど、初代オーブンは結婚5年目ぐらいに母親が手に入れたものだ。

私の母は、料理が好きで、特にお菓子を作るのが大好きだった。
そして、そのお菓子は本当にどれも美味しい。

小学校から帰って玄関のドアを開け、甘い匂いが漂ってくる日には、「今日は何を作ったの!?」と一目散に台所に飛んでいっていた。オーブンの熱で少し上がった室温と、焼きたてのケーキがある日には、それはそれは幸せな気持ちになった。

やがて大きくなると、私も母親の隣でお菓子作りに精を出すことになる。
そんな記憶とともに、実家にある大きなガスオーブンは私の憧れとなっている。

そして、子供ができたら毎日手作りのお菓子を作ってあげたいなあーと思っていたのだが、実際はまあ、お菓子どころか、毎日のご飯の支度だけでも大変なのだけど。

それでもやっぱりオーブンはいいなと思う。

以前住んでいた築浅のマンションにはなかったガスの栓が、今の台所にはある。
そして、ちょっと台を作ればオーブンを置いておけそうなスペースも、ある。
今使っているオーブンレンジ(旦那さんが独身時代から使っている働き者!)がだめになったら、次こそはオーブンが欲しいなあと思っているのだが。

はてさて、その日に向けて、オーブン貯金をしなければ。
いつかは、大きなオーブン料理をしたいなあと思いつつ、今日もお菓子の本を眺めている。

雪の日に、窓の外を眺めながら

東京で11月に雪がふるのは54年ぶりらしい。

朝、子どもたちを保育園に送っていくのに、いつもの5倍ぐらい時間がかかった。
庭に降り積もる雪を、台所の小さな窓から眺めながら、今日はシチューにしようと朝から下ごしらえをする。

冷蔵庫にかぼちゃがあったので、それと人参と玉葱をザクザクと大きめに切って、ついでに残っていた豚肉にも入れ、大きなお鍋でコトコトと煮る。
ここまで下ごしらえをしておけば、あとは随分と楽ちん。

さて、仕事をするか、とデスクに向かったところで保育園からお迎えコール。長男発熱。さっき送っていったばかりなのになあ、、、と思いつつ、雪の中お迎えに。

帰ってきてリビングに寝かしつけ、その隣でPCを広げる。
外の雪はまだ降っている。

そんな冬の一日。

 

 

初めての一軒家

なんで新しい家になかなかなじめなかったか。
理由はたぶんこれ。今度の家が一軒家だから。

振り返ってみると、これまで実家を含めずーっとマンション暮らし。一軒家に住んだ経験がない。


一軒家って、独立してるんだぜ。
家の周りぐるっと一周しても全部自分の家なんだぜ。
しかも、庭もあるし、木もあるし、駐車場もついてるし、家の中なのに階段あるし(2階建てってことです)、外壁も雨戸もあるし、いやいやいや、こんなに全部自分の家って把握できないんですけど。外出するときに一体いくつ鍵かけなきゃいけないの?
台風とか来た時はどうしたらいいの?
てか、庭木とか、どうすんの?庭の手入れとかしたことないし。

という、感じでですね、思考がオーバーヒートしてしまったのです。
さらに私を混乱させたのはその古さ。愛すべき純和風の古民家なのです。

旦那さんの実家は、築100年を超える大きな日本家屋。
そんな彼や義理母からしたら、この家も全然新しいのですが、私にとっては全く未知の世界。
古いからこそちゃんした手入れが必要になってきます。
引っ越しの片付けだけでも大変なのに、そこに家の補修が加わって、さあ大変。
保育園は月初めからじゃないと通えないから、子供たちも家にいるし、仕事はやらなきゃならないし、さあさあ大変。

DIY魂に火が付くどころか、極端な寝不足で、息もたえだえになってしまったわけです。

さて、今月に入り子供たちもようやっと保育園に通えるようになりました。家作りと仕事と両方ガシガシ進めていかなきゃ!

無為に過ごした10日間

毎日暮らす家がどんなものがいいのかは、何を大切にしてどんな生活がしたいのかを考えることなんだと思う。
私は一体どんな暮らしがしたいのだろうか。
それは「毎日を変えてみる」ことで見えてくるのかもしれない。

今回の引っ越しで、私は同じ場所にずっといるとじっとしていられなくなるのに、実は環境の変化に意外と弱いのだなあ、という発見をした。新しい家に引っ越してきた当初、あまりに慣れなくて、ただひたすら呆然としてしまったのだ。

ダンボールの山に埋もれながらも、毎日3食ご飯を作ってお風呂に入って寝て起きて、の繰り返しをするのだが、その日常が今までとがらりと変わってしまったことに、なぜだか全然ついていけなかった。

そうして、私は引っ越してからの10日ほどを無為に過ごしてしまった。
やらなきゃいけないことは山のようにあるのに。
そして、私はひどく疲れていた。

そんな状況を変えてくれたのは、義理母だった。
あんまりにも散らかったままの部屋を見かねて、手伝いに来てくれたのだ。
そして、なんと2週間もいてくれた。
これまでも色々と助けてもらってばかりだったけど、この時ばかりは本当に本当に、ありがたかった。

そうしてようやっと浮上し始めて、なんとか少しずつ生活を組み立てて行っている。
本当に一歩一歩でしか前に進めないことにうんざりもするけれど、逆に一足飛びに駆け抜けていったところで、絶対にボロボロと落とし物をするに決まっているのだ。

そして、無為に過ごしたあの10日の間に、新しい環境を少しずつ許容していったんだろうなと思うようになった。
もう少しタフであるべきなんだよな、と思うんだけれどね。

 

 

引っ越ししました。その2

去年の9月、近所で行われた家族向けのイベントに遊びに行ったときに、ワンコインタロット占いのコーナーを見つけた。

「次の場所を探す」というのが、そのころ常に付きまとう命題だったため、占い師さんにも「引っ越し先を探してるんですよー」と言って占ってもらった。

彼女はカードを丁寧に切り、そして、私に引かせた。
魔法陣のように並べられたカードをみて、彼女は一言、こういった。

「うーん、東京って出てます。」

東京には戻らない、確固たる意志を持っていた私は、その結果を持ってして、「占いなんて当たらないからなあー」と思いつつその場を後にした。
彼女は、「動きがあるのは、1月、4月、6月あたりです」とも言っていたのだが、今振り返ると、それは全部あたっていた。

まず、1月に5年だと思っていた定期借家の期限が1年短くなるというお知らせが来た。(なんと!うそでしょ!)
次に、4月には「引き続き住むには、敷金礼金がもう一度要ります」というお知らせが来た。(ありえへん!どうせ引っ越すつもりでいたのにもったいない!)
そして、契約が切れる6月に、次の家もきまらないうちに家を引き払うことになったのだ。
もう、6月のあたりなど、ほとんどむちゃくちゃだなあと、我ながら呆れてしまうのだが、そのあたりで次に住む場所を東京にすることに決めたのだ。
決めてからは、まるで自分のことなのに映画でも見てるように、周りでいろんなタイミングがカチカチとはまって、あれよあれよという間に東京行きのレールが引かれていった。

日本全国どこに住んでもいいし、なんなら海外に住んでもいいし、家族一緒ならどこでもいいのだけれど、結果私たちが選んだ場所が東京だったということなのだろう。


かなり無茶をした今回の引っ越しでしたが、ようやっと日常が送れるようになってきました。
まだまだ、片付けも済んでませんが、これから住み心地のよい家にしていくためにも、もうひと踏ん張りです。

目標は忘年会を我が家で開催すること。早く人を呼べるようにしなくては!

 

 

引っ越しをしました。

引っ越しをした。
新しい町の、新しい家で、新しい生活が始まった。
ここでどんな毎日が繰り広げられるのだろうか。それはまだまだこれからの話。

 

さて、今回の引っ越しについて少し振り返りつつ、時々で思ったことなんかを残していけたらなと思ってます。

私たち夫婦は、結婚当初、東京の吉祥寺に住んでいた。
最初東京に行ってしまう旦那さん(当時は彼)に「大阪で(正確には兵庫県だけど)生まれた女やから東京へはいかん!」とか言ってた私も、結婚となればついていかざるを得ない。
彼が一人暮らしをしていた荻窪ワンルームから、2人で暮らすための部屋を探していたところ、吉祥寺の築浅な1DKを見つけた。
引っ越してきた当初、関西に帰りたい―とぶつくさ言っていたのだが、言っても仕方がないということにも薄々気づきだし、腹をくくってこの地を楽しもうと思うようになった辺りから、俄然楽しくなった。
それには、吉祥寺という町の魅力もあった。
新婚時代に住んだ町という思い入れもあるが、本当にいいところだった。

その後、子供がうまれ、1DKでは手狭だし別の部屋を探さなきゃね、と言っていた矢先に東日本の地震が起こった。
私は生まれたての長男を連れて、関西の実家に帰り、事態の収束をまった。

が、一向に収束しない。

そして、私は旦那さんにこういった。「もう東京へは帰らない」と。

それから紆余曲折あったものの、地震から1年半の時を要し関西の私の実家の近くに家族そろって暮らせる居を構えた。
その後、会社を立ち上げたり、2人目が生まれたりしたが、私としては、どうしてもその家が「緊急的に非難してきた場所」という感覚があった。もともと定期借家だったこともあり、「次」を探すリミットは5年だと思っていた。

 

そんな期限を残り2年残した去年の秋、ちょっとした出来事があった。

(つづく)